学長のつぶやき

ここでは自由に想ったことを雑記しているだけです。

AI生成と心

「AIで分身を作るとしたら、誰を作る?」

最近、AIが急速に発達し、絵を書いたり、質問に答えたりしているが、間違いなく誰かの「考え」を学ばせれば、「誰かの分身」が生成可能だろう。

おそらく、ほとんどの人間が「自分の分身」をまずは手掛けるだろう。なぜなら、頭の中の考えをアウトプットすればいいからだ。

話は変わるのだが、自宅には「父親の日記」がある。多くは熊本地震後に家を建て替えるタイミングで捨てたのだが、父が私に宛てた内容の手紙や父の若いころの日記は全て残っている。

「死んだ両親や愛する人に会いたい」

そう願う人は世の中にたくさんいるはずだ。父の日記と私の父の記憶から、いずれか生成されたAIは、何を語るのだろうか?楽しみでもある。

「迷惑ばかりかけたけど、少しは大人になった。」

そう父のAIに伝えたとき、どう答えるだろうか?おそらく、私の想像しうる答えをくれるだろう。

これからの時代、自分の分身を作っておけば、自分の子どもたち、もしくはさらに先の未来の子孫たちに、「思想や心」を残せるかもしれない。

私はAIをうまく活用して、未来に心を残したいと、雨で少し肌寒い薄暗い空の先をみながら、コーヒーを飲む。

子どもと大人とバイアス

「父ちゃん!なんで人間って、酸素吸わないと死ぬの?」

という娘からの無邪気な問いに、「当たり前の答え」をしたあとに、こう答える。

「人間が酸素吸わないと死ぬっていうのは、地球だけの話であって、他の星の人間は窒素吸って生きてるかもよ。」

「へー!そうなんだ!地球だけの話だけなんだね。」

「もう!変なこと教えないで!すぐ学校で言うんだから!」

その後、いつもの妻からのツッコミ。

そして、この前同じことを会話の流れで、後輩に話した。答えはこうだ。

「規模が大きすぎて、理解できません。」

確かにそうだ。至ってまともだと思う。

ここで何を言いたいかというと、人間はいつのまにか強力な「確証バイアス」に支配されているということだ。

そして最もバイアスによって、差がでるのが「時間」だ。

「時間は、みんなに平等」

はたしてそうだろうか?そもそも時間は速度と重力によって物理的に違う。そこは正直どうすることもできないが、「心理的な時間の差」は人によって全く異なる。

「父ちゃん!ひま~!」

娘の口癖だ。おそらく私も小さいころ連呼していただろう。今はどうだ?

「忙しくて、時間が足りない!」

ここからは、たまたまこのつぶやきを見た方たちに考察して欲しい。

このやりとりが表している「時間」の概念と。強力なバイアスを。

世界の変化と変身

「YouTubeがしたい!」

と息子と娘が言ってきた。

「いいね!何をしたいの?」

「・・・うーん。ゲームとか?」

こんなやりとりが続いたが、私も中小企業診断士の内容を動画で来年から配信を予定していることもあり、乗り気である。

「なら、この模造紙にやりたいことを書いていこっか」

私は模造紙の真ん中に2人が考えたチャンネル名をまず書いた。そこを中心に2人に発散をさせる。

  • アスレチックチャンネル
  • 釣りチャンネル
  • ゲームチャンネル
  • お手伝いチャンネル
  • フレンチブルドッグチャンネル
  • 虫の観察チャンネル
  • 家で遊ぶチャンネル

中小企業診断士で活用している「マインドマップ」。子どもたちの想像と好奇心は無限だ。自分たちで自主的に考えること。これを教えたい。売れるとか、売れないはどうでもいい。まずはやることだ。

機械関係はかなり高いが、投資と考えよう。リサーチしなくては。

今時代は本当に変化している。今までは勉強を一生懸命して、いい大学に行って、良い就職先に入って、定年まで勤めあげる。

もうそんな時代じゃない、のは明らかだ。だがしかし、今だに強力な思い込みが日本の社会全体を包んでいる。

だからこそ、チャンスかもしれない。この子達が大人になるときにYouTubeやネットで表現を慣れさせておくことが、どんな勉強よりも大事なのかもしれない。

大人になって、環境に合わせて変身するのは本当に大変だ。まさしく自分が痛感している。とても時間がかかるのだ。

新しい世界に新たな変身、子どもたちは自分たちで主体的に何をしたいかをできる限り後押ししたい。親が決めるんじゃない。自分で決めることのできる心を育てたい。

そんなことを考える、子どもたちが学校に行く道程で、姿が見えなくなるまで手を振る、風の冷たい爽やかな朝。

これからの時代についての考察

突然だが、「戦略」はなにも経営改善だけに用いるものではないと思う。

例えば「人生計画」でもそうだ。いつ結婚する?いつ子どもが独立する?家はいつ建てる?何歳で中小企業診断士を取得する?何歳で独立する?

自分を導く者は、自分の中にしかいないのだ。なにも計画どおりに進めろと言っている訳ではない。何かしらの羅針盤がないまま、航海していれば、沈没する可能性が極めて高くなるからだ。

しかし、これからの時代は沈没しないままの誰かに管理された自動航海もありえる。

「AI(知能)×機械化(労働量)÷人口」=「平等の中の不平等」

分母のインプットが小さくなるのに、分子のアウトプットが大きくなり生産性の効率化が実現されるが、それはなぜか平等の中の不平等を産出するのではないか?

今まで必要だった「労働力」が必要でなくなり、あらゆるアウトプットをAIや機械がする時代になれば、最低限の生活は彼ら(AI)が守ってくれる。だから、働かなくても単純に1世帯最低限の金額が平等に与えられ、生活は守られるかもしれない。

だが突き詰めていけば、リアルと非リアルとの境界線が極めてあいまいになり、人としての性(さが)は喪失されるかもしれない。

リアルでの労働力が必要なくなれば、人は何をもって付加価値を産むのだ?対抗する手段はAI(知能)にはないものだ。

IQ×経験(メモリー)=AI(知能)

経験(メモリー)には、「善悪の判断基準」が重要だ。それは人が人であり続けるための、「最後の砦」になると考える。

リアルでも、非リアルでもいい。「人間の失敗するというエラー」が人を人として繋ぎとめる。失敗する経験が唯一、善悪の価値基準を保ち、最後に「愛」を残すことができるのではないか。

最後に残るものは「愛(ai)」なのか「AI」なのか?

そんな、勝手な考察(非リアル)と自然を感じる日曜日の風の穏やかな朝(リアル)。

志【こころざし】

人の能力は残酷なくらい遺伝で決定されている。それは、スポーツの才能や美術、音楽の才能だけじゃない。ストレートに言えば「頭の良さ(IQ)」についても言える。

ただし社会的な倫理観から、「頭の良さ(IQ)」については語られない。人はみんな平等に機会を与えられるべきだからだ。そんな矛盾に悩んでいる人も多いのではないか?

私もそうだ。自分の能力に不満がある。今も何度も「挫折と失敗」を繰り返している。ただ、私は失敗も多いが、「行動も多い」、と思う。

「吉田松陰」。私の好きな人物の一人だ。戦略家である反面、計画性のない行動を起こす。この矛盾しているような行動が大好きだ。どんなに遺伝的に備わっている実力も、行動しなければ、なにも科学反応は起きない。

彼には「志」があった。そこに世間が作り出した先入観は必要ない。今の平和な日本があるのは彼の功績が大きいと思う。

天賦の才がないからこそ、数えきれないほどの「挫折と失敗」が「経験」となり、付加価値として積み重ねられる。そしてその思い「志」は誰かが継いでいき、形となる。

ただ、「志」だけは自分で見つけ出すしかない。

私の「志」は、この厳しい時代に小さな経営をしている人たちの、私の手の届く範囲の家族の幸せを守ることだ。私が、働きづめで早く逝った両親に育てられたように、一生懸命素直に生きる人たちの小さな幸せを守りたい。

思いやる心

東京生活の2年目が開始。残り1年となった。昨年は非常に忙しく残業の日々。今年は人も増え、落ち着くと思っていたが、ヘトヘトになった。

体力的な疲れは週末で癒えるのだが、今回は精神的な疲労も重なっており筆が進まない。理由としては極めて自己中心的な人間からの連絡があり、久々にキレてしまったからだろう。

40歳を超えると攻撃性が落ち着き、よほどのことがない限り冷静だ。

だから正直に言えば、そこでキレてしまったのは、その人間だけでなく、積もり積もったものがそこで爆発したと言える。

私には3つの嫌いな人間がいる。

  • 理不尽な人間
  • 自己中心的な人間
  • 擦れている人間

「理不尽な人間」は特に目上や役職の上のものに多い。特に頭の良い人間に多い。

「自己中心的な人間」は自分の欲求を達成するために、正論でマウントを取ろうとする人間が多い。しかしながら、結局自分の立場のことしか言ってない。

「擦れている人間」はたくさんいる。これは他人を羨む自己肯定感の低い人間に多い。

このタイプの人間たちが嫌いな最大の理由は「相手の気持ちの察知能力」が極めて低いことだ。

「理不尽な人間」「自己中心的な人間」は、もっと失敗や恥をかく経験をして欲しい。

「擦れている人間」は誰しも陥る。自分が幸せでなければ他人に構っている暇はない。ただ、その中でも必死に笑顔で生きている儚い人間が私は好きだ。

「相手がどんな気持ちになるのか?」。相手を思いやる心をもてば、道理で動かなければならないことも必要なことが分かるだろう。

私はきれいごとが好きだ。そんな生き方をして、騙されたり、疲弊したり、儚く散っても。そんなふうに必死に生きる人間が好きだ。小さな幸せで足りる。そんな心の美しい人でありたい。

不思議な話 

みなさんは「デジャヴの経験」はあるだろうか?

先週、足を悪くしたので初台という近くの駅の整形外科に行ったのだが、そこの事務員の対応が悪く、頭にきた。

その瞬間、その場所の記憶が頭の中にフィードバックして、以前「キレた」経験をし、非常に気まずくなったことを思い出し、感情を抑えた。

しかし私はめったにキレないし、そもそも病院でキレた経験などない。「夢」でみたのだ。

不思議な話だが、よく夢で見た場所や場面が、特定の場所や場面でフィードバックする。「ここに来たことがある」や「こんなやりとりがあった」を経験することがある。

たまに思うのだが、その現象が「プログラムされた人生」でないかの疑問だ。

こんな話を急にすると、頭のおかしい人間と思われるかもしれないが、「脳だけでプログラムされた人生を歩んでいく人間」もあながち非現実的なことではない時代が来るかもしれないし、既にそうなっている可能性は0とは言い切れない気がする。

「たつき涼」さんの「私が見た未来」もそうだが、予知夢ではなく、「プログラムされた人生を繰り返している」なら、未来を言い当てることも可能性としてありえない訳ではない。

私は「夢」を「夢と認識できる」ことが多い。夢を夢と認識したら、どんな怖いモンスターや幽霊でも倒すことができる。人の脳は不思議だ。

「あなたが見ている世界はプログラムされた、あなただけの世界線ではないですか?」

そう認識すれば、世界は夢を認識するかのごとく、自分の力でいつでも改変できるのかもしれない。

そんなバカげた思い付きを書いて、動かない足を呪う昼前の空腹な時間。

東京生活と地元の友人との会話

今日は2023年の3月21日(春分の日)。東京に来て、1年半が経とうとしている。

私の住む杉並区は閑静な住宅街で過ごしやすく、周りは静かだ。

今年の目標は「富士山登頂」なのだが、疲労から右足を怪我しており先週まで「松葉づえ生活」であった。40歳を過ぎた肉体は運動するにも知恵や道具が必要なのだと最近つくづく思う。

最近のもっぱらの楽しみは「東京10社巡り」と「読書」。「東京10社」を巡り、10枚の「ミニ絵馬」を集めることで、1枚の「大きな絵馬」が完成する。東京にいる時にしかできない経験だ。

「読書」にもこだわりがあって、「八重洲ブックセンター」という本屋のファンだ。ここのディスプレイが非常に良く、興味のある本が手に取りやすい。

ところで、最近連絡の取れなかった20年以上の付き合いの友人から連絡がある。

「私は、なぜ生かされているのだろうか?」

「生きる意味はなんなんですか?」

彼は小さいころに大好きだった母親と弟を亡くし、父との生活だったが、反りが合わず、ずっと悩み続けている。また、軽度の発達障害ということが5、6年前分かったようだ。

私は彼にこのように回答した。

「生きる意味はない」

「え?」

「人間が生きる意味、花も虫も鳥もペットも死んでしまいば忘れ去れるだけ。生きることや世界に特に意味はない。」

「・・・そうなのかな。」

「でも、今日久々にあなたが連絡をくれて、ほっとしているし、あなたが生きてて安心した。」

「生きる意味とかにはあまり期待はしないけど、あなたがいる世界は素晴らしいと思う。」

「ありがとうございます。」

彼とは今度のゴールデンウィークの連休に地元で飲む約束をした。

「町もいろいろ変わってるよ」

と彼が言う。物質的なものは目まぐるしく変わっていく。

お互いに2人が出会える機会は変わらないで欲しいと、まだ少し寒さの残る風を感じながら、空を見上げていた。